横浜で過ごしてきた時間を思い返すと、
何かをずっと話していなくても、
それが気まずくならない場面が多かった気がする。
家族でも、近所でも、職場でも、
沈黙がそのまま続いていて、
誰かが無理に埋めようとしない。
港の見える場所や、
川沿いの道、
少し広めの歩道を歩いていると、
言葉がなくても成り立つ時間が、
普通にそこにあった。
何をしてきたか、
どこまで頑張ったか、
そういう話をしなくても、
一緒にいること自体は成立していた。
今思うと、
あの“話さなくても許される空気”は、
横浜という街が持っていた
ひとつの優しさだったのかもしれない。
それが良かったのかどうかは、
正直よく分からない。
ただ、ああいう時間が当たり前だった街は、
今は少し珍しくなってきた気がする。
コメント